小林よしのりのアホさ加減に呆れる。

【哀】 「アイヌ論」を投げ出し、SAPIOで「天皇論」を始めた小林よしのりだが、未練がましく欄外にアイヌについて書いている。

曰く、「同化はアイヌ自身が自ら進めていること。和人が強制したわけではない。」

あまりのアホさ加減に呆れたが、こんな認識では「アイヌ論」が行き詰まったのも当然の成り行きだ。



小林にはアイヌ側からの視点が全くないようなので、二人のアイヌ、萱野茂氏と貝沢正氏の言葉を、二風谷ダムのための土地収用に対する意見陳述と意見書(「貧困なる精神B」本多勝一)から引用してみる。



「アイヌは自分たちの国土をアイヌモシリ、『人間の静かな大地』と呼び、だれにはばかることなく自由に暮らしていたのであります。(中略)

このでっかい島、北海道を日本国へ売った覚えも貸した覚えもないというのが、心あるアイヌたち、そしてアイヌ民族の考え方なのであります。」

「アイヌは好き好んで文化や言語を失ったのではありません。明治以来の近代日本が同化政策という美名のもとで、まず国土を奪い、文化を破壊し、言葉を剥奪してしまったのです。この地球上で何万年、何千年かかって生まれたアイヌの文化、言語をわずか百年でほぼ根絶やしにしてしまったのです。」

「沙流川周辺は気候風土に恵まれ、昔からアイヌの楽土であった。日本人とのかかわりは古く、松前時代は奴隷労働を強制されたがアイヌはアイヌとしての生存権は認められていた。

明治政府は法律を制定、北海道は無主の土地としてアイヌを無視し土地をとりあげ、そこへ本州から沢山の移民を送り込み乱開発がはじまった。それによって天然資源に依存していたアイヌは生活の手段を失い、貧困のどん底におちこんだ。

政府はアイヌに恵んでやるやるのだと恩に着せ、『北海道旧土人保護法』を制定した。この法律はアイヌに農民化と日本人化教育をおしつけ、アイヌは生活習慣と固有の文化を失った。」

「アイヌ酷使の記録は今から130年前、松浦武四郎が二風谷コタンを訪れたとき『人口120人のうち40人、実に三分の一の若者が雇いに取られ、残っていたのは老人と子供だけだ』と場所請負人の非道をあばいている。私達の先祖は太平洋沿岸を歩かされ、厚岸の浜までいかされた。

明治に入ると日本人はどんどんアイヌモシリに入り込みアイヌの土地を取り上げ、都合のよい法律を作り、狩猟や漁を行なえば密漁、薪をとれば盗伐だとおどし処罰しアイヌの生存権を奪った。(中略)

明治政府の農業授産でアイヌの生活は安定したが、奥地の乱開発で水害多発地帯となり、男は出稼ぎに依存するようになった。

明治末期、苫小牧に製紙工場が出来、原料丸太は沙流川の奥地で伐り流送して河口まで下げた。増水の度に、丸太は耕地に寄り上がり農作物は被害を受け、流れてくる丸太は岸にぶつかり、畑はどんどん欠損、耕地は失われた。

明治30年『国有林開地処分法』という悪法が出来、多くの山林地主を生んだ。アイヌコタンの人々の薪とり場は社有林となり、立ち入る事も出来なくなった。沙流川流域は良質の広葉樹が繁っていた。桂やみず楢の銘木は伐採され、海外向けに輸出された。その後炭焼きが入り、山ははだかになった。急流の小川は降雨の度に流木や土砂を押し流し、耕地を荒らし続けた。(中略)

長い年月苦しみながら守ってきた僅かの土地も、苫東工業用地の為になくなることは、一度ならず三度四度と、何故アイヌは泣かなければならないのか。」



ほんの一部の引用だが、これが歴史的事実に基づくアイヌの心情だ。

「同化」は和人の強制ではないなどと、あまりにもふざけた暴論で、怒りを通り越して哀れになってくる。



この暴論を読んでどこかで聞いたような話だと思ったら、麻生総理が政調会長時代の「創氏改名は朝鮮人の人たちが『名字をくれ』と言ったのが始まり」(2003年5月31日、東京大学での講演)という発言の思考回路とそっくりではないか。

小林よしのりも、今やアホの代表のような麻生総理と、同レベルのようだ。

いいかげん妄言を撒き散らすのはやめて、早くギャグ漫画の世界に戻った方が身の為だろう。

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